だストレージ
いつもの会話にもう一品。
余剰知識の見本市。

夏油温泉 ゲトウオンセン

  • 地名・施設名

夏に油というなんとも熱そうな字面の温泉である。
あと知らないと初見では読めない……。

岩手県の南西部にある北上市、その中でもさらに西の端に位置する温泉地だ。
幾つかの山を挟んで秋田県との県境にも近く、焼石連峰の山々に囲まれた渓谷沿いに温泉施設が並んでいる。

まず立地的に山の中で交通の便が悪い上に、冬はここに至る唯一の道路が雪の影響から通行止めとなることもあって、温泉好きの人たちの間では秘湯として有名らしい。

古の湯

数々の伝説が残る昔からの温泉・湯治場であり、昭和初期の内務省の報告には発見・開湯は斉衡3年(西暦856年)と記されているという。
なんと平安時代である。

日本には書物の記録上でも少なくとも平安以前から続く湯は他にも多く存在し、中には道後や有馬のように神代の頃に開かれたとされるトンデモ温泉もあるのだが、それでもかなり古い温泉地と言える。

ゲトー泉記 1

温泉地の様子については後述するとして……。
自分は土地の成り立ちや言葉からのアプローチが好きなので、どうしても先ずこの「夏油(げとう)」という地名が気になった。

難読地名に属するのだろうけど、これについては温泉の由緒を調べると自然に言葉の由来も知ることができた。
この表記と読みとに幾つかの説が唱えられている。

先ずは読みの方。大きく下記の説があるようだ。

  1. アイヌ語で「崖のあるところ」を意味する「クッ・オ/グット・オ」から転じたという説
  2. 豪雪地帯のため冬季に行くことができなくなるところから“夏の湯”で「夏湯(げとう)」と称した説
  3. 鬼が斬られた腕を取り返しこの湯につけて繋いだという伝説から鬼=外道ということで「げどうの湯」と呼ばれた説

順番が前後するがそれぞれ少しずつ触れていこう。

よみさぐり ‐ 鬼の話

3つめの説は、後から昔話に繋がるように調整された印象を受ける。

伝わっているのは源頼光の四天王の一人、渡辺綱が出てくる話である。
彼は一条戻橋の戦い等でも知られるヒーロー的人物だし、“鬼が斬られた腕を人間に化けて取り返しにくる”という展開は平家物語にもあり歌舞伎の演目にもなっているので、その人気に寄り添ったのでは? と個人的には思ってしまう。

エピソード的にこの鬼が有名な茨木童子であるとして、京都あたりで敗れて逃げ去ったにしても、岩手まで来るのはちょっと逃亡距離として遠すぎる気もするし。
……あ、いや色んな伝説にそれくらいの長距離逃亡は結構あるか。追われ追われて――なんてこともよくある。
まあそれはさておき。

県名の由来に代表されるように、様々な鬼の言い伝えのある岩手県である。※1
渡辺綱に斬られたものでないにしても鬼絡みの話が残ってるのは得心するが、これが由来かというと私としては懐疑的である。

全然別の話で傷を癒した鬼の言い伝えは元からこの地にあって、それが後々になって前述の有名な話と混ざってしまった可能性も捨てきれないが。

よみさぐり ‐ アイヌの話

1つめの、アイヌ語由来がそもそもの呼び名ではないかという説が強い。
同様の地名は岩手県内に他にも存在するからだ。

アイヌというと北海道のイメージが強い人が多いだろうが、東北にもかつて多く暮らしていたと言われている。※2

奥州に蝦夷の人々が居たことは記録があるというので、その言葉に端を発する地名が残っているのは不思議ではない。
厳密には別なのだろうが、彼らがアイヌと極めて近い民族だったとして「アイヌ語」として括るならばこの説は有力だろうと思われる。

北海道の地名のように明確な記録※3があるわけではないので推測の域ではあるのだろうけど。

よみさぐり ‐ 季節の話

上記のアイヌ語源説がメジャーだが、2つめの説が後から当てたにしては意味が自然過ぎて違和感が無い。
しかし、別に夏に限ったことでも無いだろうからやはり後付けの気はする。

あるいはアイヌ語由来と同時発生的か、奇跡的に良い感じの文字を適用した結果なのかも知れない。

この後に書く文字表記で「油」が出てきた話を踏まえると、流れとして「夏」+「湯」という表現がその前にあった可能性は高い。
ともあれ表記が決まってから読みが生じたという流れは無いように思う。

ゲトー泉記 2

次いで文字表記の方だが、こちらは簡単に調べたところでは一つだけ説が出てきた。

冬季に閉ざされることから「夏湯(げとう)」とされた説に続き、夏の強い日射しの下で揺らぐお湯が油のように見えたので「湯」が「油」に置き換えられて表現されたという話だ。
成る程、陰影の強い水面が油のように見えるというのは納得だ。

だとしたら、読みはそのままに文字が置き換えられたことで難読地名と化したパターンである。

ソーカサルカ

そして、そもそもの発見についても言い伝えが2つある。
慈覚大師・円仁が発見したという話と、マタギが追っていた白猿が湯で傷を癒している姿を見つけて発見したという話である。

冒頭で触れた昭和初期の内務省による報告では前者の説を取っている。
高名な僧侶に関わる物語は割と全国ところ構わずあるが、夏油では付近の山に他にも慈覚大師にまつわる場所や物が点在しており、古来より信仰の場であったというので、根拠としては今に繋がる点もありそうだ。

後者は各地の温泉でよく見られる開湯伝説の側面の方が色濃いだろう。
動物が入っていたことが発見の由来とされる温泉も多い。

ただ、どうもお隣にある花巻市の鉛温泉にも白猿が発見に関わったという伝説が残っていることを知り、こちらが気になった。
それ……同じ猿ちゃいますのん……?

因みにどちらの温泉にも「白猿の湯」が存在する。

そのほか、遠くではあるが山口県の俵山温泉にも白猿の話があり、同じく白猿の湯がある。
白い猿、温泉見つけ過ぎか! と思ったけど、そも猿が温泉に入る姿は現在でもお馴染みだし、白い動物は神の使い等として神聖視されることも多いので、伝説を語る素材としても十分だったのだろう。

レトロ&ワイルド

秘湯と呼ばれる割に人気が高い夏油温泉。シーズン中はなかなかに賑わうとのこと。
長期滞在する湯治客も多いという。

温泉郷の大半を湯治旅館「元湯夏油」が占めているのだが、そのメインの施設は一ヵ所に立ち並ぶので、そこだけで一つの街のように見える雰囲気がある。
大きな有名温泉地には無い独特の風情も魅力だ。

5つの露天風呂と、男女それぞれ専用の内湯が1つずつ、計7つの湯がある。
露天風呂は1つが女性専用で、ほか4つは基本的に混浴だ(時間帯によって女性専用になる)。

どれも風景だけでなく効能や温度も異なる。
順に楽しみたいという人も多いだろうが、タオルは勿論のこと水着もNGなので、特に女性は混浴の場所については混雑具合や時間帯によって要注意であろう。

露天風呂はいずれも渓流沿いにあるので、夏場は川を水風呂代わりに使うケースもあるようで。
更にそれらをハシゴする為、タオルを巻いたり簡単な服を一枚羽織ったくらいの状態で河原をそのまま歩く人もいるのだとか。ワイルドだ…!

大自然と民俗の旅

自然に抱かれるような湯船の数々。せせらぎや鳥の声に耳を傾け木々の色を愛でながらお湯に浸かるのはとても心地良さそうだ。
古代の物語や岩手の民俗文化等にも思いを馳せつつ身体を温めたくなってきた。

温泉好きの方は元より、私のような昭和レトロなムードが好きな人間にとっても気になる場所である。
辿り着くのは大変そうだが、それでも所謂野湯の類ほどの難易度ではない。

所在する北上市では8月に祭りがあり、花火や屋台のほか伝統芸能の「鬼剣舞」や鹿踊りなども披露される。
近辺へ旅行の際は、まさに“夏”を狙いつつ、夏油温泉にも訪問を検討してみたいところだ。

  • ※1: 現・盛岡市の東顕寺にある「三ツ岩さま」と呼ばれ信仰されてきた岩に、かつて懲罰された鬼が「二度と悪事を働かない」という誓いの為につけたと伝わる手形が残っており、これが「岩手」の名の由来とされている。
  • ※2: 現在有力な説ではアイヌが居たとされるのは俗に「白河以北」と呼ばれる東北・北海道エリアであり、東北地域についてはその中でも確実な記録は北部に集中しているという。太古の時代は日本のもっと広いエリアに先住民族としてアイヌの人々が住んでいたのではないかという説もあるが、根拠に乏しいものが多いという。
  • ※3: 江戸~明治時代に当時の蝦夷地やアイヌの人々を記録し「北海道」という名称を考案した松浦武四郎などの調査により、北海道のアイヌ語由来の地名の多くはその事実が明確である。
  • TEXTS by

    Yuri Yorozuna
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