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余剰知識の見本市。

ブジェツラフ ブジェツラフ

  • 旅行・観光
  • 地理

かつて交通の要衝として賑わい、今なおその機能は保ちつつもすっかり長閑になっているという、なんだか切ない感じがするチェコの町の名前。
チェコ領土の南東の端、オーストリアやスロヴァキアとの国境付近に位置する。

栄枯盛衰クロスロード

ブジェツラフ(Břeclav)はチェコの南モラビア地方、ブジェツラフ郡における中心都市である。
カタカナ表記では「ブルジェツラフ」とも。

かつてはオーストリア領で、ルンデンブルク(Lundenburg)と呼ばれていた。

11世紀初頭から、大公ブジェティスラフ1世(Břetislav I.)によって町の基礎が築かれ都市宣言が成されたことに起源を持つ。
名称も彼の名に因んで付けられたものだ。
関連ある偉人の名を持つ町は、世界各国どこにでもあって面白い。

が、そもそもそれ以前、特に10世紀ごろから重要視された都市であり、プラハ、ウィーン、ブダペストと繋がる交通の要所として賑わってきた経緯があるとのこと。
ディイェ川※1沿いの町でもあるので、水の確保の面や水運も合わせて栄えてきたのだろう。地図で見てみると水路や池も多い。

1839年に鉄道が敷かれたことで更にその様相を強めつつ、今に至るという。現在は空港もある。
世界遺産「レドニツェとヴァルチツェの文化的景観」地域への玄関口でもあり、バスで20~30分ほどで行くことができる。

しかしながら現在、その交通の流れの所為で訪問者の大半が、目指す観光地や大都市への単なる中継地点としてこの町をスルーしてしまうこととなってしまった。
後述の戦災の影響もあってか、昨今のブジェツラフは良く言えば牧歌的、悪く言えば閑散としている――といった感想をよく目にする。

川と廃城の時間

15世紀からユダヤ人が居住していた記録があり、ユダヤの歴史とも関りが深い。
町にあった「シナゴーグ」と呼ばれるユダヤ教の会堂は三十年戦争や第二次世界大戦の影響で破壊されてしまったが、1990年代終わりまでに修復・再建され、現在は南モラビア地方におけるユダヤの歴史資料館として様々なものが展示公開されている。

町そのものでの観光となると目玉はブジェツラフ城になるのだが、この城は第二次世界大戦で爆撃されてから廃墟のままだ。
記事の写真はこの城である。

戦後、チェコではドイツ人の国外追放があったのだが、その際にブジェツラフを所有していたリヒテンシュタイン家の人々も去ってしまった。
その後の社会主義時代に、大都市以外の歴史的な建造物は政府によって放置され、荒れ果てたというのがいきさつとなる。

歴史の流れの中で何度も様式を変え、改築が成され、改修工事も施されてきたというが、なんとも虚しい話だ。

近年になって多少の修復はされたようだが(少なくとも2010年に改築工事があったとのこと)、残念ながら現在も中に入ることはできないらしい。
それはそれで廃城の風情を楽しむことはできそうだが、今後に期待したい。

その他は町並みや新旧混じった幾つかの教会、円筒形の礼拝堂「ロトゥンダ」の跡、郊外の広大な農村の風景、氾濫原の森などがある。
例によって地元民は「何も無い」と言うことが多いというが…w;

まあ周辺の大きな街や世界遺産に比べれば仕方がないのかも知れないが、このよくある地元意見はなかなかに寂しいものがある。
結局自分で歩いてみないことには判らない、というパターンだ。本当に何もないケースもあるが、少なくともこの町はそうではなさそうだし。

駅前すぐの乗り場から遊覧船に乗ることができるので、チェコの美味しいビールでも楽しみつつ、町から郊外の自然までを水上からのんびり堪能するのも手だ。
また、この地方の「モラビア祭」はよく賑わうというので、そこに合わせて行くのもアリ。

中継点として認識されることが多いブジェツラフだが、チェコやオーストリアに旅行の際は、少しだけ時間を作って一度町に降りてみても良さそうだ。

  • ※1: ドナウ水系でモラヴァ川(マルヒ川)の支流。ドイツではターヤ川と呼ばれる。チェコではあちこちでこの川から人造湖や溜池が作られていて、中にはラムサール条約に登録されている湿原まである。
  • TEXTS by

    Yuri Yorozuna
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