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新潟小唄 ニイガタコウタ

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皆さんは通っていた学校の校歌を今でも歌えるだろうか。

日本における義務教育中は勿論のこと、高校や大学、各種専門学校、場合によっては幼稚園・保育園の段階や仕事先にもその施設・組織の「歌」は存在するだろう。
特に小中高の学校は地域との繋がりが強くまた教育の目的が大きいためか大抵は校歌があり、事あるごとに歌ってきたのではないかと思う。

多くは、地元の風景や自然、名所、歴史、著名人、文化などが歌詞に取り入れられていただろう。
そして歌を通じて、まあたとえ深くは知らずとも親しみを感じてきた人は少なくない筈だ。

そうした動きは何も校歌に限った話ではない。
古くは伝承レベルの和歌や民謡に始まり、現代における特定の街を舞台としたポップミュージック等に至るまで、時代々々で土地に愛着を覚える歌というのは生み出されてきた。

スモールソング・オン・ビッグウェーブ

『新潟小唄』はそうした一つで、「新民謡」と呼ばれるものに類する。
文字通り新潟の歌である。

少し前にNHKのテレビ番組『ブラタモリ』の新潟回でも紹介されたので、今のタイミングでは知っている人も多いかもしれない。

新民謡は、かつて一大ブームを引き起こしていた、地元要素盛り込みまくりのご当地ソングを指す言葉だ。
大正の終わりから昭和初期にかけて、全国各地で作られ歌われてきた。
大半は戦前に作られたものを指すが、最近作られたご当地ソングでも民謡調のものや音頭に近いものは新民謡とされる場合がある。

さて新潟の中心都市である現・新潟市でもその流れに乗り、1929年にこの新潟小唄が作られたわけだが、そのキッカケは信濃川に今も架かる萬代橋(三代目)の完成で、これに合わせた記念事業の一環で出来たものだという。

新潟新聞社(現・新潟日報の前身にあたる)が旗を振り、作詞に北原白秋、作曲に町田嘉章を迎えての制作だった。
北原白秋は言わずと知れた日本を代表する詩人・童謡作家であり、町田嘉章(町田佳聲)は民謡や古典邦楽の分野で研究者・演奏者として名を馳せた人物だ。
制作陣としても結構なパワーである。暫く新潟に滞在して作り上げたとのことだ。

校歌などと同じように、やはり当時の新潟の自然や文化、有名なものや名産品などが風情をもって謡われているが、現代の感覚で“小唄”と言うにはボリュームが凄い。
なんと42番まである。多いよ。
仏教の声明とかもそんな感じの量あるな……。

この1番には勿論、記念された三代目萬代橋が歌われている。

北の国の更に北から

この歌の一つの特徴として面白いのは歌詞にロシア語が入っている点だ。

各番に必ず「ハアサ ハラショ ハラショノ ロンロン」という一節がある。
ここにある“ハラショ”はロシア語の「хорошо(ハラショー)=良い/素晴らしい」なのだ。

その他にも25番に「ウラジオ」、32番に「カムチャッカ」なども登場する。

何故ロシア語が? と当然思うのだが、これは産業の面に起因するところが大きい。

当時から現代まで、新潟は北前船にはじまり北洋漁業が盛んな街である。
物や人の交流、領海の問題など、良しにつけ悪しきにつけロシアとの関りはどうしたって強く、今なお市内ではロシアの人たちを見ることは多いという。

この歌には「海をはさんで対岸同士、仲良くお互い発展していきましょう」といった意味も込められている。
花街では芸妓さんたちが唄ってきたが、この一説になるとロシアから来た人たちも共に声を上げ、賑やかに楽しんでいたのだとか。
なんかいいなー。

外国に行くアーティストがライブ会場で挨拶だけでも現地語で行うと盛り上がる、みたいな話だ。
音楽は万国共通なれど、自国の言葉があると親しみやすさは倍になる。
この歌の場合は、当時の新潟の人々から文化・産業面においてロシアへ向けての親しみもあったのだろうけれど。

新しくて旧い郷土愛

新潟小唄は最初にできたレコードのほか、後々ジャズ調のものも制作されたというので中々の人気だったようだ。
新民謡の中には『東京音頭※1』や『ちゃっきり節※2』といった全国レベルで有名になったものも数多いので、それらに較べると知名度の広さは無いのだろうが、地元では今でも愛されているのだろう。

因みに萬代橋の近くに歌碑も立っている。
何故か歌詞が刻まれている面が車道側を向いており歩道側には別の何かがあるとのことで、通り掛かる地元民も認知していないケースが多いらしいが……。

そういえば私の地元にも同じような新民謡があるが、町では放送で流れたり駅で流れたり同様に歌碑が立っていたりと結構なプッシュ具合だ。
お年寄りから子供まで、大好きという程ではないにせよ、みな愛着を持っている。

個人的に縁あってちょくちょく新潟を訪ねるので、次に行く時にはこの唄のことも気にしつつ、古い雰囲気の残るエリアを歩いてみたい。

  • ※1: 東京音頭は元々「丸の内音頭」だったものが人気を博して東京全域の様子を唄ったものに変わり、全国的に大ヒットした歌。
  • ※2: ちゃっきり節は静岡の新民謡。方言を盛大に散りばめてあるので古くからの民謡とよく誤解される。戦前に鉄道会社が制作したが、広く歌われるようになったのは戦後のこと。
  • TEXTS & GRAPHIC by

    Yuri Yorozuna
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