悪環境の中でも心の清らかさや美しさを失わずにいることを表す諺、あるいは熟語。
四文字熟語としては「泥中之蓮」のように漢字で書かれる。
ありがたい由来
なんだか「腐っても鯛」の究極上位互換みたいな言葉だが、意味の素晴らしさとともに、胡散臭いセミナーとかで掲げられそうなワードだな…とか思ってしまう自分が悲しい。
蓮が泥の中にあっても美しく花開くことに准えた言葉で、元々は仏教用語である。
如来像や大仏の台座になっていることはよく知られているが、そもそもこの蓮の花の様子から仏を象徴する花になったという説もある。
煩悩に囚われていても仏法によって心の清浄を保つことができるということを、仏の教えや慈悲のシンボルである蓮に例えたものだ。
つまりまあ先に述べた私の連想はもの凄く罰当りで、もはや邪推の領域に足を突っ込んだものであろうことが解る……。
曇った心に捕われたままで、まったくもって泥中の蓮には程遠い。……あ、こんな風に使えますね。(歓迎できない使用例だ)
自浄エフェクト
近い言葉として「蓮は泥より出でて泥に染まらず」というものがあり、関連する植物的な特徴として一つ、蓮の葉が高い撥水性を持つことが挙げられる。
機会があれば試してみて欲しいが、水をかけると通販番組における防水スプレーのデモンストレーションさながらに水滴が滑るのだ。
葉表面の構造などにより球状の水滴が形成され、転がる過程で表面にある汚れを吸着することで常に綺麗な状態が保たれている。
因みに、この自浄性を蓮の英名である”Lotus”から「ロータス効果」と呼ぶのだが、まさしくこの言葉の意味が科学的方面に繋がっているようで面白い。
どちらにしても?
余談になるが、よく「睡蓮(スイレン)」と「蓮(ハス)」が混同されるので少し。
その違いや見分け方の詳細については割愛するが、花開く時期に見るのであれば簡単なものをひとつ。
葉や花が水に皿のように浮かんでいるのが睡蓮、葉や花が水面から茎で立っている方が蓮、くらいのザックリした認識でいても概ね間違えないと思われる。※1
この言葉に使われているのは蓮のほうだが、実のところ睡蓮も泥の中から花を咲かせることそれ自体は同様である。
蓮ほどではないにせよ、少なからずこの言葉を体現していると言えなくもない。
テーマ性
更に余談になるが、記事を書いている現在、この言葉でインターネット検索すると同名タイトルのBL漫画がヒットした。
なるほど意味的には様々な物語やキャラクターを象徴する言葉として用いやすい気がする。
解釈をやや広めにとれば、闇の中の光、黒の中の白、変わらぬ清らかさや高貴さ、そしてその下にある泥のイメージなど、着想に至るものは多そうだ。
泥深くとも
蓮の中には、発掘調査などの際に1000年以上もの古い地層から実が掘り起こされ、再び育つものがある。
それらは「古代蓮」と呼ばれ、日本では千葉で見つかったものが各地に移植され、今も人々に親しまれている。
初夏、花の咲く季節にはこの言葉を頭に置きつつ近くにある蓮の名所を訪ね、太古より変わらぬ美しい姿にあやかりたいものである。