『世界で最も孤独なクジラ』と呼ばれる正体不明のクジラの一個体の通称。
鳴き声がおよそ52Hz(ヘルツ)の周波数※1であることから『52Hzのクジラ』、あるいは略して単に『52Hz』『52』とだけ呼ばれる。
インターネット上でもちょくちょく話題に上ることがあり、近年このクジラの調査およびその映画化のためのプロジェクトもあったので、存在自体は聞いたことがあるという人も多いかもしれない。
何ゆえの“孤独”であるか
音紋や回遊パターンからクジラであることはほぼ確定的であり、シロナガスクジラかナガスクジラ、またはそれらと他のクジラとの混血種ではないかと言われている。
1980年代に初めて観測され、2004年以降は研究機関の観測領域から出てしまう特定の時期を除きその声が捉えられているものの、20年ほど経って未だその正体は明らかにされていない。
クジラやイルカの類は鳴き声でコミュニケーションを取っていることが判っているが、その声があまりに違うと意味を判別できる意思疎通が困難になると考えられている。
ナガスクジラなどヒゲクジラの仲間は多くは10~25Hz、高いものでも39Hzだというので、52Hzという値は極めて高周波だということになる。
従って『52』は仲間や他のクジラと声によるコミュニケーションはできていないと推測され、『世界で最も孤独なクジラ』と呼ばれるに至ったというわけだ。
ディスコミュニケーションの境界線
何故そんなことになっているのか、未だ調査どころか映像も捉えられたことはないので判っていないのだが、原因として可能性が挙げられているのは
- 聴覚障害のため同種のクジラと音を合わせることができない(いわゆる「聾」によるもの)
- 発声器官に障害あるいは問題がある
- 稀な混血種でありそれに起因する先天的な問題である
- そのほか突然変異によるもの
などといったところだ。
彼または彼女を追っての研究は続けられている。
我々人間は文字を持つため、生活言語圏が同じであるなど共通文字を認識する間であれば、たとえ耳が聞こえず声が出せずとも筆談や手話によるやりとりは可能だ。
それらが健常であっても、互いに認識できない言語の者同士では、姿が見える状態でジェスチャーや絵を用いて意思疎通を図るしか無い。
この『52』の状態が人間でいう上記どちらに近いのかは解らない。
が、クジラたちは普段は単独行動するものが多く、互いが見えない状態でその歌声によるやりとりを行うので尚更厳しいものがありそうだ。
同じ見た目をした宇宙人と会話するくらいの無理具合なのかもしれない。
突然異世界に飛ばされて、周囲の言葉が解らず、また自分の話す言葉が一切通じない上に根本的に発声できない領域の音を使う必要があって、声によるコミュニケーションは手詰まりである――みたいな感じだろうか。しんどいぞ。
鯨と高周波をめぐる冒険
冒頭で触れたが、近年ではその姿をなんとか捉え調査しようという探索プロジェクトも立ち上がっている。
資金をクラウドファンディングで募集していたもので、追跡調査をドキュメンタリー映像作品として制作しようとする一環だったりもするが。
また『52』の追跡を模したショートフィルム作品もあり、またモチーフとして物語や歌詞に取り入れた作品も数多く存在する。
まあ寂寥や悲哀を感じさせる類のロマンというか……インスピレーションという意味でもテーマ性高いものねこれ。
大洋のサイン
我々が文字や記号や絵、ジェスチャーでもコミュニケーションをとることができるように、クジラたちも特定の声だけではない人間の与り知らぬ“何か”があるのかもしれない。
そうでなくとも音自体の補足とそれが同族のものであると認識できているとしたら、内容が解らずともリアクションは得られているということになる。
猫の言葉を人間は解らないが、近くでニャーと鳴き声がすればどこに居るのかはだいたい判るわけだし。
案外、もっと気楽な問題で、実は「あいつアホほど声高いな」程度のことなのかもしれない。
ただ、そもそもクジラたちが自分と同じ生き物が発している音だと気づいていなかったとしたら、どこかで『52』の発する声だと予め知っている個体にしか認識されないことになるので、やはり辛いものがある。
時期的に仲間と集まる場合は姿形で認識することもできようが……。
52Hzの歌の行方
『52』は他のクジラよりも頻繁に発声しているらしい。
それが、いくら呼び掛けても声の届かない寂しさに駆られての行動なのかは判らない。
呼び名とは裏腹に必ずしも孤独とも言い切れない。
もはや「これはこういうものだ」としか思っておらず、優雅にひとり歌いながらスローライフを満喫している可能性だってある。
最終的には本人(本鯨?)にしか分からないことだ。
生まれつきだったとしたら、子供のころに母親との会話もできていなかった可能性も合わせてあるわけだが、少なくとも現在まで生きているということは幼少期を乗り切って成長はしているということだ。
もしかしたら、実は最高に聴き惚れてしまう美声で知られていき、今や鯨界では名のあるカリスマシンガーだったりするかも知れないじゃないか。
孤独と取るか孤高と取るか。
よくある話だが。
それでも、我々人間からしてみるとどうしても、彼あるいは彼女の存在には、どこか寂しさや切なさを感じてしまうことが多かろう。
個人的にも気になるので『52』については何かしら解明されないかという興味がある一方で、いっそ見つからずなるべく穏やかに生きていて欲しいなとも思う。